※「平和プラザ2011」 中止のお知らせ

 東北地方太平洋沖地震のため、「平和プラザ2011~平和をねがう中央区民の戦争展~」は、3月12・13両日ともに中止します。

 余震が続いていることに加え、交通機関の乱れ、会場のエレベーター復旧のめどが立たない、などの理由からです

 10月に振り替え開催を予定しています。ご了承ください。

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「平和プラザ20111~平和を願う中央区民の戦争展」

3月11(金)~3月13(日)

月島社会教育会館にて開催!!

ぜひ気軽に足をお運びください。

地図はこちら→ http://www.event-navi.ne.jp/museum/d_top.php?eventID=0000003023

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●前回2010のイベント詳細もご覧ください!右下の緑色の枠内の「ラベル」より 「平和プラザ2010」のご案内 をクリック!

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お問い合わせは
  吉川新吾(事務局) shingo-y@festa.ocn.ne.jp  田中康男(実行委員長) ファックス 03ー3533ー4377
気軽にご連絡ください。

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「平和プラザ2011」成功のための賛助金を募集
このイベントは、趣旨に賛同される個人、団体からのカンパですべて運営しています。
個人は一口500円、団体は一口3000円です。ご協力をよろしくお願いいたします。
郵便振替口座00130-9-543835 加入者名:平和プラザ実行委員会


2010年2月18日木曜日

第5回実行委員会報告


←実行委員会後の交流会(飲み会)

                  
                  
2010年2月15日(月曜)「平和プラザ2010」第5回実行委員会には12名が参加。
                  
                  
主に、3月28日(日)のフィールドワーク「日本の近現代史の現場を訪ねて~築地探検」(仮称)について話し合いました。
高齢者でも無理なく参加できる街散歩にしようと思います。

(決めたこと)
午後1時半に築地本願寺本堂前に集合。
2時までは集合場所付近で松本智量さん(浄土真宗本願寺派)のお話を聞きます。境内の歴史遺産もご紹介いただきます。
ここを起点に、街歩きスタート。
街歩きの具体的な場所は、新たに立ち上げた「フィールドワーク委員」が実際に歩いて候補地の中から10箇所程度に絞ります。
4時頃に終着点に着き、懇親会へ。
お楽しみの懇親会は、築地で寿司or東銀座界隈のお店、どちらにするか検討中。
                                      
さらに参加者によるフィールドワーク写真展を後日、日本橋図書館ミニギャラリーで開催するという提案もありました。                                      
                                      
●宣伝のため、街にもくりだします!

月島区民センター前で宣伝(3月3日、月島図書館リニューアルオープン)
3月3日(水)午後2~3時、来館者にビラ手渡しとハンドマイクでのイベントお知らせ
3月14日(日)午後2~3時、来館者にビラ手渡しとハンドマイクでのイベントお知らせ
                                      
開催日が近づいたら、会場周辺ポスティングやハンドマイクを使って音出し宣伝もします。
詳しい日時は次回実行委員会で検討します。
                                      
第6回実行委員会 3月6日(土曜)午後6~8時、勝どき区民館4号室
スタッフ随時募集してます!気軽に参加してください。

2010年2月17日水曜日

今年8月1日発効決定!クラスター爆弾禁止条約


←昨年の「平和プラザ2009」で私が作成した爆弾模型。真ん中が「クラスター爆弾」(1/4サイズに縮小)
                           
クラスター爆弾禁止条約(オスロ条約)の批准国が2月16日、30カ国に達し、同条約は今年8月1日に発効することが決まりました。
                                      
ベトナム戦争やイラク、アフガニスタン戦争などで使われ、不発弾として残る率が高く、市民を殺傷してきました。
                                      
アメリカ、ロシア、中国などの軍事大国が禁止条約に難色を示す中、06年の第2次レバノン戦争でイスラエルが大量のクラスター爆弾を使用したことを機に国際的非難が高まりました。
                                      
ノルウェーなど有志国と非政府組織(NGO)主導の軍縮運動「オスロ・プロセス」が07年2月に禁止条約の協議を始め、08年5月に条約案で合意、12月にオスロで署名式が行われました。現在104カ国が署名しています(日本も署名しています)。
                                      
運動開始から3年半で発効にこぎ着けることになったのは、禁止への世論の高まりによるものです。
世論が平和への道を少しづつ切り開いています。

2010年2月10日水曜日

「従順ならざる唯一の日本人」白州次郎


先日、町田市にある白州次郎(享年83歳)・白州正子(享年88歳)がかつて住んでいた家、「武相荘(ぶあいそう)」を訪ねました。
次郎、正子ともに、裕福な家に生まれ、次郎はイギリス、正子はアメリカに留学し、国際的な感覚を身につけた当時としては少々型破りな二人は、「野人」と「韋駄天」の世紀のカップルとして名を馳せました。
                                     
二人が住んでいた農家を改造したこの家は、文学、骨董の世界に精通し、後に染色工芸店まで営んだ正子のセンスにより、古民家がモダンさも感じられる「和」テイストでまとめられています。寛いだ雰囲気ながらも、ところどころに「光る」センスがあふれるステキな家で、近頃よく目にする「和」モダンな家の正に「さきがけ」といえる家です。
                                     
次郎は、得意の語学力を生かし、ジャパン・アドバタイザー誌の記者、セール・フレイザー商会取締役、日本食糧工業(後の日本水産)取締役、などの職に就きました。
                                     
仕事でイギリスに足を運ぶ中、当時駐英大使だった吉田茂と懇意になり、戦後吉田茂に請われてGHQとの折衝にあたり、日本国憲法の成立に深く係わりました。
                                     
白州次郎についての評価は様々で、私も実像をつかみきれずにいます。
世界でも例を見ない民主的な「日本国憲法」制定のために、ある程度の貢献をした、と評価する人...。しかし彼は結局は体制側の人間だったのではないか、と疑問を唱える人...。
                                     
ひと目見れば、ひとこと言葉を交わせば、誰もが「白洲党」になる、といわれる魅力的な人柄。
                                     
戦後、数年間の占領から開放されたサンフランシスコ講和条約を結ぶ際、吉田茂にGHQから渡されたのは英語原稿で、内容はGHQを褒めたたえるものだったことに白洲は怒り、書き換えさせました。そして、「従順ならざる唯一の日本人」と呼ばれました。
                                     
次郎は、「憲法はGHQにしてやられたが、今度はしっかり経済力をつけてちゃんと独立しよう。GHQから阻まれてきたが、真の独立を。そのためには経済力が必要だ」と考えたようです。
戦後、白州次郎は、終戦連絡事務局次長、経済安定本部次長、初代貿易庁長官などを歴任。
そして、日本は高度経済成長の道を歩み、経済発展を成し遂げました。奇跡の復興を遂げた日本...。しかし、その時には白洲は既に政界から去り、全ての公職からあっさり身を引いていました。「風の男」と呼ばれる由縁です。
その後、東北電力会長、軽井沢ゴルフクラブ理事、大沢商会会長、日本テレビ社外役員、など歴任しました。
                                                                          
GHQとの折衝に直接あたり、占領の屈辱を味わった白州次郎。
戦争の悲惨さはよく語られますが、占領の屈辱についてはあまり語られません。
                                     
白州次郎の言葉です。
「戦後とは、そうすぐには終わるものではない。新憲法もデモクラシーも、心から自分のものになった時、はじめて戦後が終わる。」
                                     
未だ戦後を生きているといえる屈辱的な私たちの状況を、
今、次郎が生きていたら、どう思うでしょう?
日本は相変わらず「真の独立」を果たしていない、と思うのではないかな...?
戦後60年以上たっても、いまだにアメリカの基地が張り巡らされているこの日本を、
自分が尽力した日本国憲法がすぐにでも改正されてしまいそうな危うい状況を、
彼はどう評価するのかな...?
                                     

2010年2月9日火曜日

TAMIYAの戦闘機セット(プラモデル)入手!


私、オクムラは、
今年の「平和プラザ2010」で
沖縄・普天間基地のジオラマを製作します。
                          
昨年の「平和プラザ2009」では、
爆弾模型を3つ作りました。
(クラスター爆弾、劣化ウラン弾、白リン弾)
                          
私は軍事マニアでもプラモデル作りが趣味なわけでも何でもありません。
全くの初心者ですが、昔から細かい作業は割合得意で、図工・美術の成績も良かったので、昨年も「爆弾模型~???よく分からないけど、多分作れると思います」と、安請け合いしてしまったのですが、結局作れてしまいました。評判も上々でした。
(詳しくは、緑の枠内「ラベル」から「平和のための戦争展経験交流の集いin京都」をクリックしてご覧ください)
                                     
今年の「普天間基地ジオラマ」作成は、かなりの「大物」と言えますが、
「きっと作れるはず」と相変わらず楽観的にとらえています。
                                     
このTAMIYAというプラモデルメーカーは、軍艦やら戦闘機やらいろいろなプラモデルを販売している国内トップメーカーのようです(私は、実行委員メンバーから聞いて初めて知りました。注;戦闘ものだけではなく自動車など一般的(?)なものもあります)。
                                     
今回取り寄せた戦闘機は計10種類。
トムキャット、コルセア、イントルーダー、ホーネット、バイキング、グラマンプラウラー、マクダネルダグラスファントム、グラマンホークアイ、シコルスキーシーキング、など???よく分からないのですが、できるだけ普天間にある戦闘機に近いものを選んでそれらしく彩色しようと思います。
                                     
一機の大きさは3~4センチくらい。
これを「普天間基地ジオラマ」の滑走路に並べようと思べます。
                                     
「基地」自体の材料はまだ購入していませんが、昨年も材料を買った「豊洲ららぽーと」内の「東急ハンズ」で揃えるめどはついています。
一度材料の下見に行ったら、
店員さんも「去年爆弾模型という怪しいものを作るために店を何度も訪ねて来た人」として私のことを覚えてくれていました。
                                     
「普天間基地ジオラマ」お楽しみに~!!
                                     
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普天間基地について考えるシンポジウムが
2月21日(日)に東大駒場キャンパス内で開かれます。
沖縄 2010 ―普天間問題から考える沖縄の米軍基地―
                                     
「県内か、県外か、それとも国外か」?
「そもそも沖縄に基地が必要なのか」?
「なぜ沖縄に基地があるのか」?
一緒に考え、話し合ってみませんか?