※「平和プラザ2011」 中止のお知らせ

 東北地方太平洋沖地震のため、「平和プラザ2011~平和をねがう中央区民の戦争展~」は、3月12・13両日ともに中止します。

 余震が続いていることに加え、交通機関の乱れ、会場のエレベーター復旧のめどが立たない、などの理由からです

 10月に振り替え開催を予定しています。ご了承ください。

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「平和プラザ20111~平和を願う中央区民の戦争展」

3月11(金)~3月13(日)

月島社会教育会館にて開催!!

ぜひ気軽に足をお運びください。

地図はこちら→ http://www.event-navi.ne.jp/museum/d_top.php?eventID=0000003023

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●前回2010のイベント詳細もご覧ください!右下の緑色の枠内の「ラベル」より 「平和プラザ2010」のご案内 をクリック!

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お問い合わせは
  吉川新吾(事務局) shingo-y@festa.ocn.ne.jp  田中康男(実行委員長) ファックス 03ー3533ー4377
気軽にご連絡ください。

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「平和プラザ2011」成功のための賛助金を募集
このイベントは、趣旨に賛同される個人、団体からのカンパですべて運営しています。
個人は一口500円、団体は一口3000円です。ご協力をよろしくお願いいたします。
郵便振替口座00130-9-543835 加入者名:平和プラザ実行委員会


2010年1月30日土曜日

みんなで考えたい!                     坂上遼著「消えた警官 ドキュメント菅生事件」


「平和プラザ」実行委員のhaseさんから、おすすめ本の紹介です。
最近こんな本を読みました。

「消えた警官 ドキュメント菅生事件」(坂上遼著、講談社刊、1785円)

1952年に大分県の片田舎で起こった駐在所爆破事件。共産党員や支持者が「現行犯」逮捕されますが、これは警察による自作自演のでっち上げだったことが後に明らかになります。破防法を通すために国家が仕組んだ事件だったといわれています。

この本は、この驚くべき権力犯罪と、それに挑んだ弁護士たちの格闘、さらにジャーナリストたちの活躍を追ったノンフィクションです。

警察と検察、そして裁判所までグルになって無実の人間を罪に陥れようとするとは、なんて野蛮な時代だったのかと思いますが、でも最近のビラまき弾圧事件などを見ると、これは決して過去のことではない! と背筋が寒くなります。冤罪という点では最近再審が始まった菅谷さんの足利事件のような例もありますね。

著者は、小泉内閣以来、政府が「組織犯罪処罰法」に「共謀罪」を入れようと狙う動きの中で、再び表現の自由、内心の自由が奪われる社会にしてはいけない、という思いから筆を執ったといいます。

菅生事件では、事件の鍵を握る「市木春秋」こと戸髙公徳(共産党内にスパイとして送り込まれた警官)を追って、共同通信などの新聞記者が大活躍します。ラジオ局(当時はテレビじゃなかったんですね)や新聞を舞台に、ジャーナリストたちが特ダネ合戦を繰り広げたことが、広く事件を知らせ、世論を喚起する上でどれだけ大きな役割を果たしたか…。

いま、政府や警察の発表を右から左に流す「発表報道」にならされ、ジャーナリズムの原点である「調査報道」がおろそかになっていないか、とこの本は問いかけています。

「平和プラザ2010」では、国公法弾圧・堀越事件(※)を取り上げる予定です。憲法を守ろう! 平和を守ろう! と主張し行動することが罪に問われるような、暗黒の社会の再来を許してはならないとの思いからです。ぜひわかりやすい、世論に訴える展示にしたいものだと、この本を読んで改めて思ったのでした。

※ 国公法弾圧・堀越事件=社会保険庁職員の堀越明男さんが、休日に自宅の周りでビラ(「憲法を守りましょう」と訴えた赤旗号外)を配ったために、公務員の政治活動を禁止する国公法に違反したとして逮捕され、一審で罰金10万円の判決が言い渡され控訴中――という事件です。

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2010年1月29日金曜日

読んでみよう!三輪祐児著「海の墓標」

   

        
        
        
        
        
        
        
        
        
        
        
        
        
        
        
        
        
        
        
        
        
        
        
        
        
        
「平和プラザ2010」実行委員メンバーの三輪祐児さんが執筆した「海の墓標」が、2007年に展望社から出版されています。
                                                                               
三輪さんは、プランナーで、戦没商船研究家でもあります。
POW(戦争捕虜)研究会 → http://www.powresearch.jp/jp/index.html
                                       
戦時下に喪われた日本の商船は2568隻、843万総トン、6万数千人の船員が海の藻屑と消ました。武器、弾薬、食糧が届かず、数十万の将兵が南の島々で飢え死にしました。
                                       
第1章 英国に学び超えた日本商船―明治維新
第2章 世界の海への旅立ち―日露戦争
第3章 独Uボートによる通商破壊―第一次世界大戦
第4章 日本の威信と誇りを掲げて―昭和初期
第5章 海を渡るノーベル賞の学者たち―第二次大戦前夜
第6章 「十二月八日」に向けられた任務―開戦の時
第7章 戦争捕虜「悲しみの共有」―太平洋の戦場
                                       
陸で失われた遺骨は収集可能ですが、海で失われた遺骨は拾うことさえできません。海の底深く沈んだままです...。
戦没商船から、日本の近現代史を考えてみませんか?ぜひ、ご一読ください。
                                       
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次回実行委員会は
2月15日(月)6時30分~佃区民館にて。
気軽に参加してください。

第4回実行委員会報告

←実行委員会のようす





1月28日(木)、
「平和プラザ2010」第4回実行委員会が開かれ、15名が参加しました。

今回の会議では、主に
●宣伝活動(とくに区内住民の来場促進を重視)
について話し合われました。

「平和プラザ2009」は3日間(内1日はフィールドワーク)で、記帳されただけで約300人の来場がありました(うち区内在住者は70人)。
2000年~2004年に八丁堀勤労福祉会館で開催していたときよりは、会場を月島に移してからの方が増えてはいるものの、目標の500人にするためには、倍増させなければなりません。
講演内容も展示内容も充実しているのに、少ない来場者ではもったいないです。
地域に根ざした戦争展にするために、地域住民向けにもっと宣伝をしようということになりました。

・区民の実行委員ルート(実行委員の日常の結びつきを生かして)
・区内の地域組織(町内会、商店街)
・区立社会教育会館の登録サークル
・区内の学校(小・中・高)や児童館ルート
・区内の高齢者施設や銭湯、諸施設ルート
・区営住宅、都営住宅、UR(旧公団)の自治会
・大規模マンションの管理組合
・区長、区議へのダイレクトメール
・新聞折り込み
・会場周辺ポスティング
・音出し宣伝
など

中央区・江東区のケーブルテレビ(東京ベイネットワーク)で宣伝しよう、という案や、日本橋図書館の「展示コーナー」を借りきって平和プラザ宣伝も兼ねて企画展示をし(期間は2週間)、「平和プラザ2010」の集客につなげよう、という案も出ました。

実行委員には、区内で長年タバコ店を営んでいる人や、元小学校教員、元児童館職員、区内でボランティアで子どもにリトミックを教えている人、区民ではなくても区内に職場があり各種団体につながりがある人、ジャーナリスト、などなど多彩な顔ぶれなので、各自つながれそうなところを手分けして開拓していくことになりました。
ビラも新たに4500枚印刷しました。これからどんどん配っていきます!

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この街の戦争体験を掘り起こし、語り継ぐために...。
貴重な資料の情報をお寄せください。

皆さんのご協力で中央区の戦争体験をめぐる展示や体験証言は、 東京大空襲の記憶を中心に年々充実してきましたが、あの時代の実相を広範な区民にリアルに伝えるためには、 まだまだ不十分だと感じています。 さらなるご協力を呼びかけます。
●ご自身の戦争体験を次の世代に伝えるために、語り部になっていただけませんか?
●戦争中の暮らしを物語る貴重な資料をご提供していただけませんか?
●ご近所やお知り合いに、貴重な戦争体験をお持ちの方はいらっしゃいませんか?
ご協力よろしくお願い致します!

情報の送付先〒104-0052 中央区月島4丁目-8-10-726 田中康男 宛
          電話 090-4613-1854 ファックス 03-3533-4377

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次回実行委員会は
2月15日(月)6時30分~佃区民館にて。
気軽に参加してください。

2010年1月24日日曜日

「ずばり!!日本の教育」

←会場内のようす

                                                  1月24日(日)、
中央区母親連絡会主催の「中央区母親大会」に、「平和プラザ2010」の宣伝で行って来ました。大人・子ども合わせて約50名の参加があり、大盛況でした。                 
会場内には、小さくなってしまった子どもの衣類交換「かえっこ」コーナー、産地直送野菜や、無着色・無香料の安全な「レイラ化粧品」の販売コーナーが設けられていました。
                                     
ビニール傘のポイ捨てに待った!をかけるエコがテーマの手作り紙芝居「ちょこっとまったーマン」上演と、武蔵村山市の小学校教諭・松村昌則さんの講演「ずばり!!日本の教育」がありました。講演後の質疑応答タイムには、予定時間をオーバーするほどたくさんの質問、感想が出ました。松村先生も「あちこちで数多くの講演をしてきたが、こんなに質問が出たのは初めて」と驚いていました。

「ずばり!! 日本の教育」
                                     
子どものうちから勉強の理解度によって徹底して振り分け、一部エリートと従順な国民に「二分化」する...。勉強が分からなくても自己責任...。「私はどうせだめだから」とあきらめさせる。成長してからも無権利・低賃金でも「自分がいけないんだ」とがまんする...。そういう人間を量産し、国が国民をコントロールしやすくする...。
そういう野望のために2006年に「教育基本法」が改定された実態が、教育現場に携わる松村先生の話からよく分かりました。
                                     
全ての子どもの成長・発達をひたすらに求める「教育基本法」(1947年制定)が
2006年に自公政権により「改定」されました。
                                     
前文では「真理と平和を希求する人間の育成」という部分が
          ↓
     「真理と正義を希求する人間の育成」に変更されました。
                                     
第2条では「我が国と郷土を愛する」態度など20を超える徳目が目標に定められました。
小学校音楽では、「君が代」をいずれの学年においても歌えるように指導すること、
中学校社会科では、「国際貢献」ということばが付け足されました。
                                     
戦争はいつも「正義」のためと意義づけられて始まります。
正義のために、愛する国のために戦争をすること、国際貢献のためなら戦争に加担することもよしとすることを肯定する流れを作ろうとするものです。
教育行政がやるべきことは、教育条件や環境を整えることで、教育内容に口をはさみ、国からの強制「道徳」で、心まで統制することではありません。
                                     
憲法26条は、
わけへだてなく、どの子にも「ひとしく」教育を受ける権利を保障しています。
子どもには、どうしても自分で実現できない権利なので、代わりに保護者や国民が、どの子にも「ひとしく」普通教育を受ける権利を保障してあげなくてはならないのです。つまり、社会全体の子どもに対する厳粛な「義務」です。
                                     
普通教育とは、どの子も、生まれつきもっている、すばらしい精神と肉体のはたらきを、だれにも十分に、バランスよく成長・発展させて、一人前の人間に育てることを目的としておこなわれる教育です。
しかし、「教育基本法」改定後は、
「人格の完成」をめざす教育(本来どの子にもある普遍的価値(人間としてのすばらしさ)を伸ばすこと)が
    ↓
「生きる力」を育成する教育(グローバル時代の大競争に生き抜き、勝ち抜く力をつけること)と変えられてしまいました。
                                     
これは、憲法26条がどの子にもひとしく保障した「普通教育」と相容れません。
                                     
学習内容・授業数が増やされ、意味の理解ぬきに暗記をさせ、学力テストで子どもを成績別に振り分け、「できる子」「できない子」の差を広げる...。将来はそれぞれが目差すものを見つけ、道がわかれていくことはあっていいと思うけれど、最初の「義務教育」の段階では、皆がひとしく教育を受けられなくてはいけないいし、国が子どもを選別・分断してはいけないはずです。
                                     
教職員の管理統制もすすみました。校長、副校長、主幹、主任教諭(2009年4月に都が導入)、教諭...と教員組織もピラミッド型にされ、責任・給与にも格差がうまれています。教育基本法改定後は月2回まで土曜日の授業が可能になり、授業時間も増え、授業準備に追われ、教員同士が話し合ったり、情報を交換し合ったりする機会がなくなってきています。今では職員会議さえ開かれない学校も多いそうです。
                                     
非正規の臨時職員も増やされました。安定した生活が保障されないなかで、子どもと真に向き合う心の余裕も持てなくなり、腰を据えて子どもを長い目で見、育てていくという気持ちもそがれてしまいます。
                                     
学校選択制導入により→保護者に学校を選ばせる→学校のランク付け→学校統廃合→競争と格差の学校、というしくみが生まれました。保護者間、地域間にも格差が広がりました。
                                     
子ども、教員、保護者、地域、すべてが分断されていく...。
皆が「繋がる」ことが難しくなっていきます。
それが国にとっては都合のいいことなのです。
                                     
現在の学習指導要領をつくった三浦朱門(作家。第7代文化庁長官。妻は作家・曽野綾子)のことばです。
                                     
「この学習指導要領をやれば平均点が下がるのは覚悟のうえだ。これからはできる子に金も労力も注ぎ込む。百人に一人のエリートが国を引っ張っていく。できない子はできないままで結構。劣っていると判断された子は積極的に無知に育っていけばよい。そういう子はせめて実直な精神を養ってもらう」
(「機会不平等」斉藤貴男 文芸春秋)
                                     
こうして子どものうちから格差に慣れさせられ、貧困に対しても「自分が悪い」と思いこまされ、国の政策に疑問も持たず、「右向け、右っ!!」と言われれば従順に従う...。
「戦争反対」や「核兵器廃絶」への声をあげることもできなくなってしまう...。
恐ろしいことです。この危機的状況から抜け出すためには、教育現場の生の声を聞く機会をつくること、声を広げること。そして「興味をもつこと」です。
                                   
次回実行委員会は
2月15日(月)6時30分~佃区民館にて。
気軽に参加してください。

2010年1月21日木曜日

恒例!中央区新春平和の集い


↑伝統芸能「南京玉すだれ」         ↑賑やかな会場内のようす
                                   
1月20日(水)に
毎年恒例の「中央区 新春平和の集い」が開かれ、28名が参加しました。
平和をねがう誰もが参加できます。
飲み、食べ、歌い、語り、大いに盛り上がりました。
主催は新婦人中央支部、中央区原水協、中央区平和委員会、日中友好協会中央区支部です。普段から核兵器廃絶署名など、平和運動をしている仲間たちです。
「平和プラザ」の実行委員も参加しました。
                                   
ゲストとして参加された、「原水爆禁止東京協議会」の石村和弘さんから、
今年5月にニューヨークの国連本部で開かれる
「NPT(核不拡散条約)再検討会議」についてのお話がありました。
「原水協」についてはこちら → http://www.antiatom.org/
                                   
5年に一度開かれる「NPT再検討会議」では、 世界中から核兵器廃絶を願う人たちがニューヨークに集結し、 みんなでデモ行進や署名活動をします。日本からも約1300名がNYをめざし、 アピール署名「核兵器のない世界を」を会議に提出します。
                                   
私もニューヨークへ行きます。
私個人で署名も集めていますが、まだ80筆位しか集まっていません。
日本全国の目標は、人口1億2千万人の一割、1200万筆ですが、 今集まっているのは約325万筆。目標の1/4程度です。 まだまだ頑張らなくてはいけません。
署名用紙の印刷はこちら → http://www.antiatom.org/sig/2010/index.html

21世紀のいまも、2万6千発の核兵器が世界の平和と安全を脅かしています。
一瞬にして無数の命を奪い、世代を超えて人びとを苦しめ、 文明を破壊する核兵器...。その恐ろしさを、私たち日本人は一番知っているはずです。
                                   
人類と核兵器は共存できません。
                                   
軍事同盟も、核兵器もない平和な世界をめざして、
これからもみんなで楽しく活動していきます!
2010年を平和への飛躍の年にしましょう!
                                   
※※※※※ 「NPT(核不拡散条約)再検討会議」とは? ※※※※※

米・英・ロ・仏・中の5ヶ国だけに核兵器の開発・保有の特権を認め、他国の核兵器開発・保有を禁止する不平等条約が核不拡散条約。これを緩和するために、6条に核保有国の核軍縮努力義務をうたい、5年ごとに再検討する会議を国連で開催。
2000年の会議で、核保有国は核兵器廃絶の「明確な約束」を受け入れました。
2005年の会議は、アメリカの妨害で前進のないまま閉幕。
2010年の会議を前に、昨年4月オバマ米大統領が「核兵器のない世界」をめざすと宣言したもとで、核兵器廃絶に向けた交渉や条約づくりなど、具体的な実行を求める声と行動が世界各地で広がっています。
                                   

2010年1月18日月曜日

「平和のための戦争展」運動経験交流のつどいin京都

↑注目を浴びた現代の核兵器(模型)    ↑文化企画の1シーン
 
1月16、17日に京都で開催された
「『平和のための戦争展』運動経験交流のつどい」に平和プラザ事務局長の吉川新吾さんが参加しました。 つどいには全国から約80人が参加、地域ごとに個性あふれる戦争展を紹介しあいました。

昨年3月の「平和プラザ2009~平和をねがう中央区民の戦争展~」で製作・展示した 「現代の殺戮兵器模型(白リン弾、クラスター爆弾、劣化ウラン弾)」を会場で紹介したところ、 「発泡スチロール製とは思えないできばえだ」「展示したいので貸してほしい」「商品化して稼いでみては」という反応で大反響でした。

スピーチを求められたので、吉川さんは「今年は沖縄・普天間基地のジオラマ作りに挑戦します。 その経過は最近始めたブログでも報告されるでしょう。ご期待ください」と話しました。

このつどいの主催者は「平和のための戦争展」交流ネットワーク(日本機関紙協会埼玉県本部気付)です。
連絡先は電話048・825・7535、peace@kikanshi-nw.or.jp

全国で創意あふれる戦争展が開かれています。
反戦、反核の運動がもっとさかんになって、「戦争は遠いものではなく、身近なものなのだ」 という認識が広がっていけばいいな、と思います。
間接的には既に係わっている問題なのです。

次回実行委員会は
2月15日(月)6時半~佃区民館にて。
気軽に参加してください。

2010年1月15日金曜日

「イラク・アフガン問題をどう扱うか?」

1月15日(木)に「平和プラザ2010」実行委員、Aチーム(核兵器廃絶、沖縄の米軍基地問題、イラクとアフガニスタン...)のワーキンググループの会議がありました。(私オクムラはAチーム所属)

各担当の進行具合についての報告と、
イラク、アフガニスタンについての展示について話し合われました。

イラク、アフガニスタンについては、 昨年の「平和プラザ2009」でも展示をし、
ジャーナリストの志葉玲さん(ジャーナリスト、「たたかう!ジャーナリスト宣言」著者)にも講演していただいたことだし、 展示スペースの問題やAチームの手が足りないという現状もあるので、 今回は割愛しよう、ということに当初はなっていました。

しかし、下記の新聞記事をみんなで読み合わせ、考えてみました。


1月12日に、オランダ政府の独立調査委員会は、
イラク侵攻が「国際法上の合法性を欠き、イラク戦争が国際法違反であり、支持は不当だった」、とする報告書を公表しました。
報告書によると、オランダ政府は、イラクに存在するとされた大量破壊兵器をめぐる情報機関の一部の情報に追従し、 本来のオランダの政策や国内世論には沿っていなかったにもかかわらず、攻撃を支持した、と指摘。
イラク戦争を主導した米英が武力行使の法的根拠とした国連決議1441についても
「個々の国連加盟国に軍事力行使を認めている、と合理的に解釈できない」と結論づけ、 攻撃を支持したオランダ政府も国連決議の解釈を誤っていた、との判断を示した。 オランダはイラク侵攻を支持し、国連の治安維持活動に約1100の部隊を派兵しました。
(1月14日付朝日新聞、しんぶん赤旗より)


このように、オランダで「国際法違反」だと判断が下されたような戦争を支持した日本政府に対して、 わたし達はまだ総括をしていないのではないか、「あのイラク戦争はなんだったのか?」、検証する必要があるはずです。
やはり展示ははずせないだろう、ということになりました。

これからも、日本は、アメリカ発動の戦争に加担し続けるのか?
この問題はアメリカと一緒に戦争をしていく国に日本がなるのか、ならないのか、という意味で、 Aチームの「沖縄の基地問題」とも密接に絡んでくる問題です。
沖縄の基地から多くのアメリカ兵が戦争のために出動しているのです。

政権交代後、情報公開が進み、防衛庁からの資料がたくさん出てきました。
航空自衛隊は、イラク市民に水を補給する仕事を隠れみのに、武器や兵士も運んでいた実態が明らかとなりました。

そもそも、ありもしない大量破壊兵器を理由に、自国を攻められた人たちが、自分達を守るための抵抗運動をするのは当たり前のことだと思います。その人たちをひとことで「テロリスト」とまとめて呼んでいいのでしょうか?テロリスト掃討作戦の名のもとに、多くのイラク市民がアメリカ兵に殺され、そのイラク市民はアメリカにさらに抵抗し...。武力でその「負の連鎖」を断ち切ることがほんとうに可能でしょうか?

日本国内での報道が沈静化していくなかで、忘れ去られつつあるイラク、アフガン戦争。 この戦争が忘れ去られていくことが都合のいい人もいます。
でも、私たちは決して忘れずに、過去の過ちから学び、平和な未来を創るために行動する義務があります。

平和憲法を持っているはずの日本がなぜイラク戦争に関わったのかをきちんと総括するための、「第三者検証委員会」を政府が設立してほしい。
賛同者を募集しています。
「イラク戦争の検証委員会設立をもとめるアピール」全文はこちら
http://isnn.tumblr.com/post/237220244

呼びかけ人は350名を超えました。
「平和プラザ2002」のゲスト池田香代子さん(翻訳家、「世界がもし100人の村だったら」編者)
「平和プラザ2009」のゲスト志葉玲さん(ジャーナリスト、「たたかう!ジャーナリスト宣言」著者)
のお二人も呼びかけ人です。

平和プラザ歴代ゲストについては、「平和プラザのあゆみ」をご覧ください

http://heiwaplaza-no-ayumi.blogspot.com/2009/12/blog-post.html

呼びかけ人の方々に声をかけ、「平和プラザ2010」に交替で参加してもらうことも考えています。 お楽しみに!

次回実行委員会は
2月15日(月)6時半~佃区民館にて。
気軽に参加してください。

2010年1月14日木曜日

「平和プラザ2010」第3回実行委員会報告

1月13日(水)に、第3回実行委員会が佃区民館で開かれ、12名が参加しました。
今回の会議では、主に
●展示内容の策定
●講演会のタイムテーブルの調整
●3月28日(日)のフィールドワークとテーマと内容
を最低限決めてしまおう、ということでした。

その話し合いを始める前に、平和プラザにとっても身近な問題、昨年12月14日の「東京大空襲訴訟」の判決について、毎日新聞の記事を読み合わせ、意見交換をみんなでしました。

「東京大空襲訴訟」

1945年3月10日の「東京大空襲」は、一夜で10万人の死者を出しました。その被害者や遺族達ら計131人が、「戦後の救済措置を怠った」などとして、国に謝罪と総額14億4100万円(1人当たり1100万円)の賠償を求めた訴訟です。遺族らは敗訴しましたが、控訴する方針です。

原告側は、「旧軍人・軍属や被爆者、沖縄戦被害者らが補償を受けながら、空襲被害者に救済措置がないのは、憲法が定める法の下の平等に反する」と主張しています。確かに、天皇の令で戦地に赴き、靖国神社に英霊としてまつられた軍人には「軍人恩給」が出ていますが、徴用された一般市民や空襲被害者には何の補償もないのが現状です。それに、広島・長崎と比べて、東京大空襲は軽く扱われて過ぎているのではないか、という意見もよく耳にします。

これについて判決は「国家が主導した戦争による被害という点では、軍人らと本質的な違いはないとの議論は成り立つ。原告らの苦痛や労苦は計り知れず、心情的には理解できる」と述べました。「しかし、当時の国民のほとんど全てが何らかの形で戦争被害に遭っていたと言え、司法が基準を決めて救済対象者を選別することは困難」と指摘。その主張ももっともだという気がします。

国は87年の名古屋空襲訴訟の最高裁判決「戦争被害は国民が等しく受忍すべきだ」とするいわゆる「受忍論」を引用しましたが、判決ではこの点に触れませんでした。この点においてはわずかながらも前進といえるかもしれません。

判決は「誰にどのような救済を与えるかの選択は、政治的判断に委ねられる」としています。
この問題は、市民団体が国会議員をもっとまき込み、運動を盛り上げ、国会で立法し救済するところまでもっていく、ということが必要です。働きかければ可能かもしれない、という希望を持ち、粘り強く続けていかなけばなりません。しかし、原告の平均年齢は77歳の高齢です。時間の猶予はありません。

展示内容及びタイムテーブルの策定

実行委員のメンバーを展示内容によって4つのグループに分けて、それぞれのワーキーンググループごとに作業を行っています。

A、戦争と平和の現在を考える (核兵器廃絶、沖縄の米軍基地問題、イラクとアフガニスタン、、、)
B、わが街の戦争の記憶を追って (出征、街を挙げての戦争協力、空襲、復興、、、)
C、アジアへの加害の事実を見つめて (司馬遼太郎「坂の上の雲」をどう見る?、、、)
D、平和を創る (コスタリカに学ぶ、九条の会、平和の思いを絵手紙に、小林多喜二と最近中央区で起きたある言論弾圧、、、)

各ワーキンググループから積極的なアイデアがたくさん出ました。

Aチーム●5年に一度開かれるNPT(核不拡散条約)再検討会議の今までの成果をたどる年表を作る●被曝2世だという告白をしたデザイナー・三宅一生の被曝体験(ニューヨークタイムズ紙から)を紹介●昨年4月の「核のない世界を目差す」としたオバマ演説を流す●沖縄・普天間基地のジオラマを製作し展示する●日米同盟50年と世界の軍事同盟の変換を、世界地図上で表現する、など

Bチーム●中央区には多くの企業があり、戦争協力をしたことで得をした(儲かった)事実を検証していく。全てのものが壊れて行く戦争という行為のなかで、直すあるいは新たに作ることで利益を得る企業がほとんどだという事実。それが戦争の原因でもある、ということを掘り下げていく、など

Cチーム●司馬遼太郎「坂の上の雲」内の記述を具体的に拾い、現実の資料と比べ事実と違う部分を検証していく作業を進める●実行委員メンバーが行ったことのある南京、ハルピン、平頂山など、日本との戦争に関係ある街の紹介をする、など

Dチーム●軍隊のない国27ヶ国の国旗を飾る●核兵器廃絶、憲法九条を守る署名、などの署名用紙を用意する●来場者に平和のためのメッセージを書き込んでもらう「メッセージ作成コーナー」を作りたい●来場者に平和についての思いを綴った絵手紙を書いてもらい、国会議員宛てに発送する(特に現政権を担っている民主党議員に送りたい)、●恒例の「言論弾圧・堀越事件」の展示をリニューアルし、「堀越さんを守る会」にも協力を依頼する、など

展示だけではなく、「来場者参加型」のものを目差して行こう!というのが大きな変化だと思います。

講演会のタイムテーブル

まだ決定ではありませんが、順に

3月26日(金)・・・
13時半~中国・平頂山事件について
15時~コスタリカの平和憲法の話&日本の憲法9条の話
(平和を願う紙芝居、尺八演奏、コーラス、などの文化行事をはさみ )
18時半~メーンイベント高橋哲哉さんの講演「歴史に学ぶ。未来をつくる~なぜ、加害体験を聞くのか」(仮)

3月27日(土)・・・
11時~Bチームの講演「わが街の戦争の記憶を追って」
13時半~府立三中OB3名の空襲体験の話&座談会
16時~堀越裁判&小林多喜二(言論弾圧の昔と今)

フィールドワークのテーマと内容

やはり中央区内を巡るのがよいのではないか、ということで、
「築地探検~日本の近現代を訪ねて~」(仮名)というツアーにほぼ決定しました。かつて居留地や海軍兵学校があった築地を歩き、築地本願寺の松本和尚から坐学を受け、 そして築地で寿司を食べる、というツアーです。

次回実行委員会は
2月15日(月)6時半~佃区民館にて。
気軽に参加してください。




2010年1月12日火曜日

新成人に向けて 「核兵器廃絶署名」のうったえ








←ロイヤルパークホテル(箱崎)前にて


1月11日、成人式の式典会場前で「核兵器廃絶署名」の活動をしました。中央区原水協(原水爆禁止日本協議会)の主催です。手がかじかむ寒さの中、14人が参加し、署名は17筆集まりました。

式典に一緒に参加するおばあちゃんと共に署名してくれた青年や、ホテルに宿泊しているらしき外国人などもいました。

街頭での署名活動は地味なもので、思うようには署名が集まらないこともありますが、「こういう活動をしている人達がいるんだなー」ということを、少しでも多くの人に知ってもらうことに意味があると思います。

その時には、たとえ署名をしてくれなかったとしても、後々テレビや新聞やネットなどで「核兵器廃絶」という文字を見た時に、私たちのことをチラッと思い出してくれたり、「核兵器廃絶」という言葉に少しでも敏感になってくれれば嬉しいです。

そして、その人は、次は署名をしてくれるかもしれません。

コツコツと、小さな活動の積み重ねがやがて大きなうねりとなって、世界を動かしていく。。。そう信じています。

2010年1月10日日曜日

行ってきました!靖国神社

↑直径1.5メートルの巨大な菊花の
紋章が取り付けられた 「神門」から
第二鳥居を望む

かつて「純ちゃん饅頭」や「晋ちゃん
饅頭」を販売していた茶屋。鳩山さん
の饅頭はない(靖国参拝をしないので)↑


1月9日(土)に
一度は行かねば、と思っていた靖国神社&遊就館を生まれて初めて訪問!
平和案内人・長谷川順一さんのガイドで、境内1時間+遊就館2時間という時間配分で回りました。

参加者は10名。中央区平和委員会のメンバーで、多くは「平和プラザ2010」の実行委員でもあります。

遊就館は、7年前に増築された部分も含めてとにかく巨大!!想像以上でした。
展示もかなり充実していて、2時間では正直かなりかけ足です。隅々まできっちり見ようと思うと1ヶ月くらい必要かも。

「平和プラザ2010」では、NHKでドラマ化され現在放送中の司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」(3年にわたって放送予定)について、反論の立場からの研究発表が企画されています。
ですので、長谷川順一さんは日清戦争と日露戦争の展示を特に詳しく説明してくださいました。

「坂の上の雲」では、主人公の軍人・秋山兄弟はヒロイックに描かれ、日清・日露戦争は美化されています。
かつての戦争に、ノスタルジーや感傷をどんなに持ち込んだところで、多くの人の命を奪う身勝手な行為に、美しさなど宿るわけないでしょう?正しい戦争なんてありえません。
しかし、司馬遼太郎は生前、軍国主義に傾かせる意図はないので映像化されるのは本意ではない、と拒否していました。それをドラマ化したNHKにも異議を唱えたいです。

NHKドラマ「坂の上の雲」にもの申す!!「平和プラザ2010」の大胆な企画を、お楽しみに。。。

「遊就館」では、日清・日露戦争についての侵略戦争についての映画(映像集)もありました。
「。。。。。。こうして我が国はロシア軍に勝利したのでした。♪パンパカパ~ン♪(軍艦マーチ)」
。。。。。あまりの時代錯誤かげんにのけぞりますよ。国策映画のノリです。
これが現代のものだということに驚き。

いろいろカルチャーショックを受ける場所ですが、絶対に行く価値のある靖国神社&遊就館を訪ねる際には、
長谷川順一さんにご連絡を→090 2421 7986 
ブログはこちら→http://hagw.blogzine.jp/

休憩時間、長谷川さんに、「靖国をこんなイヤホンガイド付で案内してまわるなんて、根性すわってますね~」と声をかけたら、「でもほんとのこと話してるだけだから」とサラッと返されてしまいました。そうですけど~、なかなかできないと思うんですけど。

「加害」の視点を持って、たくさんの人が靖国神社を訪れますように。。。

2010年1月4日月曜日

見ました!映画「沈まぬ太陽」






お正月休みに家族4人(父・母・妹・私)で見に行ってきました。よかったです、本当に。

途中10分間の休憩時間を含み3時間半ほどの長い上映時間でしたが、変化にとんだストーリー展開、まったく飽きることなく見終えました。

心を打たれるシーンがいくつもありました。

主人公・恩地と共に労働組合でたたかってきた同胞・八木が昔の写真をみながら、「恩地さん、ほんとうに輝いていましたよ。。。ぼくも、ちょっぴり輝いていた。」というセリフ。喫茶店を去るうしろ姿に、涙どばーっ。。。その後、八木は会社の不正を告発して、自ら命を絶つ。会社の不正を暴くため、あえて会社の犬になったように見せ、自ら不正に加担していく。つらかったろうなー。不本意ながらも正義のために悪事をはたらく、って。でも、彼は本当の意味では最後まで魂を売らなかったんだ、と思うけれど。彼の「誇り」について考えると、泣けて泣けて。。。

子供の時には、父(恩地)がなぜ僻地をたらいまわしにされるのか、なぜそこまで追い詰められながらも会社を辞めないのか、理解できずに父を責めたこともあった息子が成長し、二人で一緒に牛丼屋で食事をするシーン。父「仕事は楽しいか?」息子「まぁ、自分で決めた仕事だしやるしかないしね。就職のとき、妹と決めたんだ。父さんのことを問題にするような会社は受けないって」。ここでも涙どばーっ。息子も今はわかってるし認めてる、父が間違ったことをしていたわけではないってことも、父の強さも。。。

私の父母も、労組でたたかってきた人達なので、なおさら感動が大きかったようでやはり泣いていました。自分に重ね合わせて見た部分もあったのでしょう。
私も、恩地の息子じゃないけど、「わかってるよ、私も二人を誇りに思っているよ」と、心の中でつぶやきました。

追記;「働く者の権利」も、「平和」も、何もせずに手に入るものではありません。自然にそこにある、というものではないのです。恩地のように、自ら動いて築いていかなければならない、と思います。できることから、まずは、「平和プラザ2010」を成功させることから始めようと思いますので、ご支援よろしくお願いします。